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雛の色を訪ねて

山形に最上川舟運で賑わった紅花と雛の色を訪ねる
旅に行って来ました。
お雛様の詳しい事も解らず行ったのですが山形の人々の
観光地ずれしていない対応に心和みました。

紅花商人や豪農の家のすごさを肌で感じて来ました。

お雛様の種類

寛   永   雛 江戸初期の寛永時代(1624〜)にさかのぼり、座雛の始まり
ともいえる雛です。
元   禄   雛 元禄時代(1688〜)に、寛永雛を上製していく過程で生まれた
もので、男雛の頭は、冠と頭が一木造となっている。
享   保   雛 八代将軍吉宗時代の頃の雛で、享保文化の隆盛とともに
華美になる。面長の表情は能面のようだが優美である。
装束は金襴や錦を用いて、男雛は袖を張り、太刀を差し、
女雛は、五衣、唐衣装で、袴には綿を入れてふくらませ、檜扇
を持っていて、豪華絢爛を極める。
享保6年の禁止令が出るまで大型なものが作られましたが、
6年以降高さ8寸までと決められました。
立        雛 雛の発端は流し雛から室町期の立雛に始まりました。立雛は
寛永頃全盛期を迎え、後に座雛が主流になりました。
有   職   雛 宝暦(1751〜)頃から作られた雛で公郷の装束を有職故実に
基づいて雛に仕立てたもので、明治以降この名で呼ばれるよ
うになりました。衣冠姿、あるいは公郷の平常服の直衣姿の
物が多く、着せ替えの装束も添えてあります。直衣雛は、男雛
には別に束帯装束を、女雛には十二単が用意してあって、
直衣を脱がせて束帯に替える事もできます。
顔の彫りも写実的に作られて古今雛の原型になりました。
古   今   雛 明和の頃(1764〜)に江戸でつくられた。写実的な容姿と見た
目の綺麗な装束が、新しい時代に流行した。現代雛の原型
とも言われる。
衣装に金糸、色糸などで鳳凰、薬玉その他の縫紋を加工し、
紅リンスを用いて色彩を豊かにしました。
創始者原舟月が山車人形の制作者であったので、その技法
を応用して、雛の両眼にガラス玉や水晶をはめ込んだ作品も
現れました。

次郎左右衛門雛
京都の人形師菱屋次郎左右衛門が創始した雛人形です。
上流階級の雛人形でしたが、作者が日本橋室町に進出して
きてからは一般にも、普及し、従来の享保雛に代わって江戸の
人気を独占しました。
以降、明和、安永、天明、寛政期まで約30年間に江戸化して
上下階級に広く親しまれた。
面長だったそれまでの雛と比べて顔が丸く、典雅な気品に満ち
ているのが特徴です。


蔵の中で食事を出すヤマキチの雛 天井近くに飾ってありました。
洋人形に和服生地のドレスを着せています。 絵に描かれた雛
和紙で作られ雛 貝の雛 ここまでヤマキチ展示雛
山辺町のお店が参加して雛を飾っています。 山辺町ふるさと資料館の雛
有職雛 享保雛
山辺町ふるさと資料館は「佐藤清五郎家」より土蔵の提供を受けたのを機にして同家の敷地内に設立され
ました。同家は江戸時代以来、紅花を扱い、米沢行き荷物受払問屋という立場で各地で幅広い商業活動
を行い、坂田、荒浜もその拠点になっていたとのことです。
帰りに、甘酒や凍み餅やサクランボのお酒をいただきました。暖かい心使いありがとうございました。
享保雛 有職雛
御殿飾り雛
ここまでふるさと資料館の雛
八百屋さんの店舗の中にも雛が飾ってあります。 現代雛。男雛と女雛の位置が昔と逆です。
玉貴は寒河江市にある東北随一の巨刹慈恩寺の宿坊として栄えましたが、近年は一般の人が味わえる
山菜料理や寒河江川の清流せまる絶景の地にあります。四季折々、豊かな景観とあいまって、ふるさとの
四季の味を思う存分満喫出来るお店です。
手前は九州のさげもん雛 玉貴 玉貴の雛
御殿雛 玉貴 御殿雛 玉貴
玉貴の雛

もっとたくさん雛を見ましたが、撮影禁止の所があり残念でした。
特に柏倉九左エ門家の仏倉に飾られていた雛は官女が5人
という珍しい物でした。仏壇もお寺ほどではないにしろ、立派な
ものでした。そこを守っているご婦人が、昔は金持ちが職人を
育てたのに、今の金持ちは職人を育てないという言葉が心に
残りました。建物の写真は別途載せます。

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