もとは仙台藩による安永(1772~78)年間の公文書に名を残すほどの豪農の家だったそうです。
大正から昭和にかけて没落の時を迎え、付属の門土蔵などは処分されてしまったようです。
残る母屋が現在の姿になる60年間は、住む人はいたようですが廃墟同然の姿だったようです。
以前の写真を見せて頂きましたが、びっくりするくらいひどい状態でした。
本当に人が住んでいたんですか?
疑いたくなるくらいの状態でした。
舞台のような
この板の間の空間が
目を
引きます。
えっ!
ここは何をするところ?
何をするのもあなた次第です。
二段重ねにした
牛梁です。
50坪近い土間の
ダイナミックな空間をささえています。
有効利用した
照明です。
そのままでは暗くなる隅を
ほんのり明るくしています。
訪ねた時は
すてきな
焼き物が並んでおりました。
興味のある方は是非お尋ねください。
天井も高く
とても
広い空間です。
ただ
展示のみではなく
有効利用できれば
良いのにと思います。
材のすばらしさに
圧倒されてしまいます。
このような素晴らしい建物が
山梨に来る事になるのも
何かのご縁
持ち主の河合氏は
牧丘町で3期町長を勤められた方とか
移築費用総額1億円くらいかかったとか?
素晴らしい建物を見に山梨にこられませんか?
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