山梨県の新築住宅・リフォームなら地元工務店の『山本建築工業』へ

山梨県の工務店・住宅の 「山本建築工業」は自然素材で住宅の設計・施工している会社です。新築からリフォームなど住まいの事についてはおまかせください。

TEL.055-233-8873

〒400-0032 山梨県甲府市中央5-2-6

未分類

梼原町にえ見た隈研吾氏の設計建物『雲の上ホテル&温泉棟&雲の上ギャラリー&プール&梼原町役場』

P1020529 雲の上ホテル外観です。

白い外壁がずいぶん汚れてきてました。

写真で見ると

もっと大きく見えたのですが

実際は、丁度良い大きさでした。

P1020526左の階段は

宿泊棟の方に

行く階段なのでしょうか?

昇れませんでしたので

よくわかりません。

P1020527_2 レストラン入口側に

あの写真で見た

水面があります。

風で小波が立ち

とてもよい感じです。

P1020521 レストラン内部です。

吹き抜けになっており

明るく

開放的な店内です。

手前にはパンフレットが沢山置かれてました。

P1020523_2 レストランから見た

水面です。

奥の台は何?

山の中に建っている様が

感じられます。

P1020530 雲の上ホテル一段下に

温泉棟があります。

入口を入って

また

一段下がって温泉施設があります。

露天風呂もありました。

P1020543 この通路を

歩いてゆくと

何があるのでしょうか?

結構良い雰囲気でしょう?

答えは次の写真をご覧下さいP1020548_2

室内プールです。

これなら寒い冬でも

雨の日でも

プールを使用できます。

これって町民の為のプールかな?

P1020534 雲の上ギャラリーです。

梼原の職人さんたちと

話し合って出来た

デザインとか・・・?

ホテルから温泉施設に行く

通路にもなっているのかな?

次回泊まって見ないとわかりません?

P1020596_2 梼原町役場です。

9時前でしたが

もう

車が沢山ありました。

それも軽トラが多かった。

P1020597 内部写真です。

1階の向こう側に見えているのが

役場です。

すでに職員さん

忙しそうに働いておりました。

P1020598 この部分が

大きな山車を入れたりするときに

フルオープンする扉のようです。

実際に開放されるのは

いつなのでしょうか?

内と外が一体になる場所のようです。

P1020600 役場の反対側の写真です。

階段があり

2階へと続いています。

この建物には

いろんな機能が盛り込まれているようです。

ここの広いスペースは、町民のふれあいスペースかな?

P1020601 ここに使用されている木材は

梼原産のようです。

大きな木材も

ふんだんに使用されていて

RCの建物より温かみがあると思います。

P1020606初代役場庁舎だそうです。

藤村式に

ちょっと似たような

外観洋館ですが

内部は閉まっていて見れませんでした。

とても残念でした。

高知の山の中ですが、古いものを大切に観光の資源として生かし、隈研吾氏の建物が点在しているところってここしかないように思います。

一度は訪れてみる事をお勧めいたします。

   

山梨県建築士、隈研吾氏設計『マルシェ・ユスハラ』に宿泊する

P1020778_2 マルシェ・ユスハラの外観です。

全面の外壁にある草のようなものは

建具扱いになっているそうです。

建物の内部にも入っており?????

FIX窓のようなもので考えればいいのかな?

P1020485207号室です。

間仕切りが無く

開放感ある部屋です。

右手奥に見えるドアが

入口になっています。

P1020492 ベッドルームです。

天井に木がはってありました。

二つのベッドの間に

照明の調光器がありました。

寝る時にはOFFで寝れます。

P1020497 洗面です。

手前が浴室

奥がトイレになっています。

壁・天井を白く塗ってあるので

狭さを感じません。

奥に見えるトイレのドアが

アクセントとして生きています。

この手前に引戸があり閉めたい方はどうぞ。

P1020575 浴室です

壁・天井は防水塗料を塗ってあるようです。

洋風バス

ちょっと、こじゃれています

女子は大好きだと思います。

この手前に、シャワーカーテンが付いていました。

P1020561 トイレです。

トイレも浴室も

換気扇が見えないように

天井が造られています。

仕事大変そう・・?

二重にしているのかな?

全て白く

圧迫感の無いトイレでした。

P1020506_2 マルシェの部分です。

宿泊部分の通路から

良く見えます。

左には宿泊部分の

食事スペースが見えないよう

鏡張りになっています。

鏡をはった事により、空間をP1020500 広く見せています。

天井はこのようになっています。

結構

この雰囲気

和みますよね。

朝早く、地元の方が取り立ての野菜をマルシェに納めに来ていました。

おいしそうな野菜が沢山ありましたが、まだ帰らないので断念しました。

残念!

P1020510 マルシェと宿泊スペースは

こんな感じになっています。

ちょっと

イメージの違う空間が

合体した感じでしたが

嫌味な感じはありませんでした。

やっぱり一度は、泊まってみるべきですね!

部屋の感じは、宿泊して自分で体感してみないとわからない事が多いと思います。

次回来る事があれば、雲の上ホテルに泊まってみたいと思いました。

山梨県古民家鑑定士、高知梼原『坂本龍馬脱藩の道』を歩いてみました。

P1020712 梼原には

坂本龍馬脱藩の道

という昔の細い道が

あります。

この茶堂にも、立ち寄ったかも知れませんね?

P1020656これは、吉村寅太郎をはじめとする庄屋跡地に

梼原町の明治維新の志士

掛橋和泉邸宅を移築した物だそうです。

代々神職をしていたそうです。

幕末には遠近の同士が良く立ち寄り、時局を談じたそうです。

P1020671 奥の間は

天井が低く

階上に、危難の時に隠れる

『姫の間』がありました。

天井高も低く、光も入りません。

P1020727 このように

細い道です。

現在は、舗装されていますので

楽に歩けましたが

龍馬たちの時代は、どんな道だったのでしょうか?

P1020732  三島神社に続く

この橋は、木製で

御幸橋と呼ばれ

訪れる方々の目を引いているそうです。

屋根もあり、橋を渡っているという感覚は無く

神社へ続く神聖な道みたいな感じでした。

P1020739 三島神社です。

なんだか作業をしていて

車が正面にあり

残念な写真になってしまいました。

パワースポットとしても有名なようです。

P1020743 境内には

樹齢400年と言われる

ハリモミの木があります。

文禄元年(1592年)津野親忠と中平左京亮光義が

長宋我部軍として朝鮮に遠征した際に持ち帰り、植栽したと伝えられている木です。

直径 130cm

樹高 37m

通称『朝鮮松』と呼ばれているそうです。

P1020749 坂本龍馬脱藩の道は

三島神社を過ぎ

山道になります。

森林浴と楽しみながら

歩きました。

P1020761歩いてゆくと

また賑やかな街並みを歩いて

維新の門があります。

坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩したそうです。

P1020760 これは

梼原町にゆかりのある六志士に、

坂本龍馬、沢村惣之蒸を併せた八人の銅像が建立されていました。

この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じたそうです。

また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があったそうです。

それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていたそうです。

いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。

『ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。』との事です。

梼原は山の中ではありますが、素晴らしい歴史のある町なんですね。

山梨県建築士が見た、隈研吾氏と梼原町との出会いのきっかけになった『ゆすはら座』

P1020652 隈研吾氏とゆすはらの関係は

この

ゆすはら座にあります。

この建物を何とか残したい方々が

どなたかの縁で、隈研吾さんを梼原に招いたそうです。

P1020620ここは、入場券を

売っていた場所でしょうか?

窓が

何ともいえずいいですね。

ほのぼのとした昔を想像させてくれます。

P1020624  2階席です。

あまりの暗さに

フラッシュをたいても

この程度にしか

映りません。

残念!

P10206322階席から見た舞台です。

暗い中

舞台だけが

浮き上がって

見えます。

P1020643  写真は花道を撮ってのですが

暗くて

わかりにくくなっています。

昔は

こんな暗いままだったのでしょうか?

P1020642 これは

天井の中央部についている

シャンデリアです。

昔のまま

残っているようです。

P1020647劇場から

入口を見た

雰囲気です。

写真だと

目で見るより劇場内が

暗く見えます。

P1020638内部 色々見て

入口にきたら

なんと

明るく感じたこと

入口の天井高は低く

いかにも

芝居小屋に来た感じです。

現在も、お芝居をやる時があるのでしょうか?

保存することに決められた、梼原の文化的財産だと思います。

山梨県建築士が見た、自分の山の木を使って建てた『高知の家』

P1020453 高知のさめうらダム沿いの道を

舗装されていない山道に入って行きました。

道幅も狭く、片方はがけ下

という

すごい山の中を見せて頂きました。

写真のところはまだ良い方です。

P1020340 以前より庭を少なくして

建物を大きくされたそうです。

門は

宮大工をされている方が

造られたものだそうです。

P1020374 これは

なんというのだったか

忘れてしまいましたが

風が強いときに

折れてしまったそうです。

玄関でお客様を出迎えてくれます。

P1020347_2 これは

居間と和室の間にある

戸襖です。

建具屋さん

こだわりのものです。

P1020367 この大きな梁

これも山の木だそうです。

建て方の時に重くて

大変だったようです。

でもいいですね~

P1020362 家中

木がたっぷり使われていて

外は蒸し暑いのに

家の中は

爽やかでした。

木の調湿機能が

あるからでしょうか?

やっぱり無垢の木はいいですね?

  P1020363

基本的な家の造り方は

当社の

家造りと似ております。

でも

自分の山の木で

家を建てられるなんて

すごく幸せな事だと思いませんか?

実際木を買うよりお金はかかったそうですが、羨ましい話です。

P1020416 和室の材は

大工さんのこだわりで

別途

買われたようです。

無節の良い材を使われていました。

家を建てるということは、一生に一度の大金を使うものです。

このような愛着の持てる家づくりを、皆さんもして見ませんか?

家は買うものではなく、いろんな職人さんと一緒に造り上げてゆくものです。

この家のご主人も、いろいろ勉強されたそうです。

住宅会社にお任せではなく、皆さんも家づくりに参加して見ませんか!

徳島のマルナカの前にある『魚厳』の夕食はリーズナブルでお魚がとてもおいしかったよ!

徳島に泊まった夜、夕食を食べに行ったところが『魚厳』でした。

P1020271 徳島は、甲府ほど飲食店が無く

これまでは、マルヨシセンターの前にある

寿司処藤吉郎に行っていましたが

ご機嫌で飲んだり食べたりすると金額もそこそこいってしまいました。

でも 寿司処藤吉郎も、徳島のタクシーの運転手に聞くと、お勧めのところですよ。

ランチはとてもリーズナブルな価格でおいしいですよ。

P1020274 今回

ここがおいしいと連れて行ってもらったのが

マルナカの前にできた『魚厳』です。

このおさしみ定食が¥1700円

ご飯は白飯から鯛めしにバージョンアップしてもらいました。+¥200円かな?

お刺身がぷりぷりしていて、甲府で食べるものとは比べ物にならないおいしさでした。

P1020269 これは

煮魚定食です。

¥1000円くらいだったような・・・・・?

おすそ分けしてもらって食べてみましたが

おいしく煮付けてありました。

P1020270

この時は

鯛のあら煮だったのかな・・・・

結構

身もたっぷりあり

白ご飯にぴったりの味付けでした。

P1020268_2これは天ぷら定食です。

値段忘れました。

ご飯は鯛めしにバージョンアップしています。

お味噌汁も

大きな器にたっぷり入ってきて大満足です。

P1020276 これは鯛の押寿司です。

山椒の葉が入っていて

香り豊かになっていました。

¥400円だったかな~

結構リーズナブルだと思いませんか?

P1020277  さばの押寿司です。

甲府では若鮨のさば棒が身が厚くておいしいので

どのようなものか試食したくて頼みました。

¥300円

身は若鮨より薄かったのですが、おいしかった!

この店は、単品に+200円で定食になるという、とても不思議な価格設定でした。

徳島市に行かれたときには、是非一度は、立ち寄ってみる価値あるお店でした。

甲府七夕祭り『甲府銀座通り』で盛大に行われております。

P1020156 甲府の昔からの中心街

銀座通りでは

金曜日から今夜まで

屋台が沢山出て

にぎやかに、七夕祭りが

行われております。

去年は、暴力団対策で

屋台が少なかったのですが

P1020163 今年は

なんとなんと

沢山の屋台がでています。

嬉しいことに

お値段もずいぶんリーズナブルになっておりました。

P1020164カキ氷200円

焼きそば300円

トッポギ300円が200円に

子供達のお楽しみくじも

1000円で5回できるとか・・・

P1020165 天の川に見立てた

白い網に

多くの皆さんが

願い事を書き込んで

こんなに沢山吊るしてありました。

P1020170 人ごみをかき分けて

のぞいてみると

なんと

お猿さんが

芸をしていました。P1020172

多くの方々が

お猿さんの芸を

楽しんでおられました。

ほのぼのとしていていいですね~

P1020176 お猿さんの

最後の芸は

この高い障害を

このように

見事に飛び越える事でした。

P1020177 織姫と彦星

天の川で会えたのでしょうか?

なにしろ

金曜日の夜は、どしゃ降り

P1020159 7日の本日は、良いお天気でしたが

夜見に行くはずが

息子バク睡

起きるのを待っていましたが

結局ダメでした。

8日の今日は、雨が降ったりやんだり

猫の目のように、お天気が変わっています。

山梨県インテリアコーディネーター、香川県高松市牟礼にあるジョージ・ナカシマ記念館を訪れる

P1020262_3 高松市から11号線を車で走ってきたのですが

看板はわかりにくく

建物は奥にある為

見つけるの大変でした。

知る人ぞ知る?

ジョージ・ナカシマはジャーナリストである父と日本人妻の子供として、アメリカで生まれた日系2世だそうです。

1905年いに生まれ1990年アメリカの工房で亡くなられたそうです。

フランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京事務所を開設したアントニン・レーモンド事務所に入所されたそうです。

同僚には、前川國男氏や吉村順三氏などがいたそうです。

軽井沢の聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に参加されたそうです。

記念館に、その椅子が保存されていました。

太平洋戦争のとき、アメリカにいたので、日系人のジョージ・ナカシマも強制収容され、その中で、日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得られたそうです。

吉村順三氏が、ロックフェラー邸を設計した時に、220点以上の家具をナカシマが製作されたそうです。

P1020259_2  これが

記念館です。

一瞬 ここなの?

加工場に見えました・・・

すみません。

中はジョージ・ナカシマのいすを沢山みる事ができます。

また ジョージ・ナカシマのk木に対する心や実際に椅子に座る体験を通し

本当に良い椅子とは何か?

目からうろこのお話が聞けました。

P1020261 駐車場から

11号線道路を見る

このように

木があり

記念館がわかりにくくなっています。

でも それでも見たいという人の方が良いのかも?

ジョージ・ナカシマの作品は、アメリカと日本のここにしか無いとの事です。

是非 香川県にいかれたら立ち寄ってみてください。

山梨県古民家鑑定士、香川県にある古民家がある『四国村』探訪その2

P1020092 旧 中石家住宅納屋です。

扉が閉められており

内部がよくわかりませんでした。

鍵が掛かっているようでしたので

何か入っていたのでしょうか???・・・

P1020114  旧中石家母屋です。

平家の落人村として有名な祖谷(いや)の民家です。

平国盛の子孫といわれる阿佐家に近く、険しい山肌に、しがみつくように建っていたそうです。

母屋18坪、隠居屋13坪、納屋8坪、いずれも茅葺降ろしで、18世紀後半の建築とみられているそうです。

P1020100 旧中石家隠居屋です。

母屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建ち、祖谷の民家の特徴を現しているそうです。

母屋、隠居屋は土間のない二間取りになっていました。

部屋にイロリがとってあるのは、寒い祖谷地方の特徴だそうです。

父親が隠居して、長男に世帯をゆずると、隠居屋に移り住んだのだそうです。

P1020120 旧丸亀藩御用倉です。

丸亀藩御用の米倉で、金毘羅参詣絵図にも太助燈篭と共に描かれているそうです。

内部の柱の一部にある墨書きで江戸時代後期の建築と思われているそうです。

また 米俵の数取りに使った「玉」の字の落書きも見られたそうです。

P1020130 旧三崎の義倉です。

義倉とは、平時に稲や麦を貯蔵しておいて、飢饉の際には種籾や食料の補助として支給する制度だそうです。

奈良時代には、すでに制度化されていたそうですが、その後廃絶したが、江戸時代になって再び復活し、各藩に設置されるようになったそうです。

この義倉は昭和15年頃まで機能しいたそうです。しかしその後維持管理が困難となり、ここに移築復元されることになったそうです。

P1020142アーチ橋

昔の金毘羅街道沿いにあったアーチ橋は、角閃安山岩で作られているそうです。

この石は、古墳時代には畿内に運ばれ、石棺にも使われたそうです。

明治34年に築造されたものだそうです。

P1020137  アーチ橋と同じ石でつくられた石倉です。

旧福井家のものだそうです。

明治中頃に造られたもので、四国では大変珍しく、当時としては贅沢なレンガを床に張ったモダンな建物だそうです。

今でも全く狂いが無く技術的にも卓越した石工の作品だそうです。

でも中を見る事が出来なかったので残念です。

P1020147 醤油倉・麹室です。

讃岐の醤油造りは、文化年間(1810頃)に小豆島を中心に興り、東讃の引田(ひけた)、西讃の仁尾などの地域で盛んになったそうです。

香川県は、明治中期から昭和10年にかけて、全国第二位の生産量だったそうです。

ここに移築復元された建物は、引田町の醸造家で長年使用さてれきたものだそうです。

建物の一部には、18世紀後半頃とみられる梁材がそのまま使われているそうです。

P1020175 小豆島の警鐘台と消防屯所、石倉です。

奥に見える石倉は、大阪に出て事業に成功した、藤原兵太郎氏が大正4年に建造されたそうです。

茨城県稲田産の花崗岩を取り寄せてつくられたそうです。

P1020173  かつて天皇のお写真を入れた奉安殿を思わせるような建物だそうです。

今の貨幣換算すると4千万円以上かかったようです。

切り石積、鉄扉両開、軒蛇腹付陸屋根は、異色な建物であったようです。

四国にも、有名な大阪城にも使われた石があるのに、わざわざ遠くから運んできたのですね!

P1020176旧前田家土蔵です。

高知県布師田に、明治初期に建てられた土蔵です。

間口3間、奥行2間、壁に7寸の暑さに土を塗り、その上を漆喰で仕上げてあるそうです。

屋根は鞘屋根いって二重になっていて、近所の家事の火の粉や大雨から土蔵を守っていたそうです。

このような土蔵は平野部に多く、漁村や山間部ではあまりみられなかったそうです。

P1020212 旧吉野家住宅です。

この家は、切妻造本瓦葺12坪、宿組みなどの部材はすべて手斧で削られ梁と大黒柱は特に頑丈に造られていました。

上がり端の床は、漁でぬれた着物や道具の露を落とす為竹のすのこ張りになっていました。

周囲の石垣は強風を防ぐ役目をしているそうです。

これらは、生活の中から生まれた漁師の家の特徴だそうです。

P1020254 異人館ワサ・ダウン住宅

明治38年にイギリス人ワサ・ダウン氏の住宅として建てられたものだそうです。

寄せ棟造り桟瓦葺き、2階建てで、下見板張りペンキ塗

になっています。

兵庫県神戸市にあった明治後期の洋館の特徴をあらわしているそうです。

P1020232 茅葺の農家を移築したうどん店

『わらや』です。

香川県のおいしいうどん店の中にも登場するほど

うどんのおいしいお店です。

丁度お昼頃になりましたので入って見ました。

P1020246 これは生しょうゆうどん大です。

甲府あたりにある讃岐うどんのお店の大は、そんなに多くないので大を頼んだら、結構な量でした。

こしも有り

のど越しもよく、おいしくいただきました。

P1020243これはざるうどん並です。

これまで食べたうどんの中では

一番おいしいと思いました。

そこで、早速おみやげでうどんを買い

宅配便で送ってもらうことにしました。

平日でしたが、結構お客様が入っておられました。

山梨県古民家鑑定士香川県にある『四国村』の古民家探訪

P1010930  旧江崎燈台退息所です。

江崎燈台は、瀬戸内海の難所といわれる明石海峡を望む、淡路島の北端にあったそうです。

P1010934 明治4年英国の技士ブラントンによって設計された退息所も、燈台と同じように花崗岩の切石を積み上げて堅牢につくられていたようですが、平成7年の阪神淡路大震災によって屋根瓦が落ち、壁面に亀裂が入った為、取り壊され四国村に移築復元されたそうです。

P1010947 旧鍋島燈台休息所です。

坂出市の沖合い鍋島にあったそうです。

江崎燈台と同じく、英国の技士ブラントンが設計し、明治6年に竣工し、この建物は昭和30年頃まで本来の宿舎として使用されてきたようですが、その後は海上保安本部の通信施設として使用されていたそうです。

P1010950

正面の6本の円柱と屋根瓦のバランスは素晴らしいものです。内部の天井は板張りで、暖炉のある部屋、畳敷きの部屋などがある和洋折衷型の建築学的にも貴重な建物だそうです。

P1010969旧クダコ島燈台退息所です。

愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあったそうです。

P1010974 明治36年に竣工しましたが、燈台の無人化に伴って、この退息所が不用になったため四国村に移築復元したそうです。

この建物はレンガ造で、外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺きだそうです。

内部は左右二つに分け、に家族用にし、押入れ付き和風の部屋が配してありました。外観洋風、内部和風の不思議な建物でした。

P1020008 楮蒸し小屋です。

土佐は高級和紙の産地です。

伝統の和紙づくりのため、楮や三椏を釜の上に積み込んで蒸すのがこの小屋だそうです。

寄せ棟造り茅葺で間口3間、奥行き2間。かまどのつくりと大桶フタの上げ下ろしの装置が特徴だそうです。

P1020015 紙作りは、切りそろえた楮や三椏を束にして釜に立て、上から桶をかぶせて蒸す。

取り出して皮をはぎ、黒皮を取り、水に浸して白皮をモチにして叩解棒(こうかいぼう)でたたくのだそうです。

最後に水に入れてすくい上げ、紙にすく・・・・・・という

とても手の掛かる作業だったそうです。

P1020058 旧下木家住宅です。

剣山の北斜面、つるぎ町にあった山村農家だそうです。

正面にのみ戸口を開いており、他の三方は壁で閉ざされておりました。

オモテの前面に縁側が設けてありました。

太い梁を組んだ空間構成は力強く、魅力的でした。

イロリ、かまど、自在鈎など現在では懐かしく思える建物でした。

P1020065 添水唐臼(そうずからうす)です。

穀類を精白する為に臼に入れて杵で搗く方法は、古くから行われてきたようです。

のちに足を使う唐臼で搗くようになり、やがて水力を利用した水車に変わってくるそうですが、水車には相当の水量が必要であり、製作も大仕事で思うようにいかなかったようです。

当時、水が少ないところでは、個人又は隣近所が共同利用したのが添水唐臼で俗にソウズと呼ばれていたそうです。

誰にでも簡単につくる事ができ、水が少なくても時間をかけると精白できる貴重な道具なのだそうです。これは昭和30年頃まで徳島県一宇村(いちゅうそん)に残っていた唯一の遺構を復元したものだそうです。

P1020075 旧久米通賢宅です。

江戸時代から、讃岐は塩どころとして知られていたそうです。

全国の塩の生産量の半分を近くを占めていたのが、坂出塩田なのだそうです。

その基板をつくったのが、久米通賢なのだそうです。

平賀源内とともに、讃岐を代表する江戸時代の科学者の住宅だそうです。

母屋の解体に当たって天井から裏から、測量器具、大砲の鋳型などが発見されたそうです。

四国すごい人材がいたんですね!