丁度お天気の良い日に行ってきました。
10日の日曜日は、大変な賑わいだったようですが
平日訪れましたので
駐車場もあいておりました。
園内の入口には
ミストシャワーが出ておりました。
見ているだけで
ちょっぴり涼しくなりませんか?
少し歩くと
右手に
ハート型?の
バラのアーチがありました。
真っ赤なバラ
バラのアーチの回廊です。
結構田舎の山道を走りますので
皆さんも
森林浴を兼ねて見に行ってみてください。
TEL.055-233-8873
〒400-0032 山梨県甲府市中央5-2-6
丁度お天気の良い日に行ってきました。
10日の日曜日は、大変な賑わいだったようですが
平日訪れましたので
駐車場もあいておりました。
園内の入口には
ミストシャワーが出ておりました。
見ているだけで
ちょっぴり涼しくなりませんか?
少し歩くと
右手に
ハート型?の
バラのアーチがありました。
真っ赤なバラ
バラのアーチの回廊です。
結構田舎の山道を走りますので
皆さんも
森林浴を兼ねて見に行ってみてください。
代々村上藩味方組みの大庄屋を勤められたそうです。
駐車場から門を見ています。
笹川邸は前回乗せた長谷川邸を模して作られたとか?
正面から見るとよく似ているような?
この家は、近世幕世期の在郷支配の役所機構としての遺構を残し、併せて旧地主の生活も示すものとして、国の重要文化財に指定されているそうです。
昭和45年には公有化が実現して
味方村が管理公開しているそうです。
公用に使用されていたのか
とても天井が高かった。
障子から入ってくる
光がとても綺麗でした。
天井が貼られています。
大工さんの仕事の大変さが伺えます。
天井必要だったのかな~・・・
梁組みを大胆に見せているほうが
私的には好きなのですが・・・
ホント
豪農の館はどこも天井が高い!
2間2尺の大床です。
襖と床の間の貼り付け壁には
卍くずれ紋様が描かれておりました。
えっ!日本の床の間ぽっくない!
杉の砂ずりの1枚板で、
木目を磨き出しているそうです。
扉が重いので戸車を使用しているそうです。
縁取りは、花りんを用いているそうです。
土庇は雪国の工夫だそうです。
雪囲いを土庇の柱に並べて取り付けることにより、雪から障子戸を守り、土縁は屋内通路として保たれていたそうです。
土庇の桁には、長さ10間(18m)の一本杉丸太が使われているそうです。
庭にはひょうたん型の池があったようですが、説明してくれる方がいなかったのでわかりませんでした。
写真の方向が違っていたからでしょうか?
床・棚・付書院を備えた書院造の座敷になっているそうです。
床の間の前の畳は長く、縁が床柱に合っていました。
これは藩主が畳みに座った時に畳みの縁を踏まないようにする為だそうです。
建具や床框には、黒漆が塗られているそうです。
書院欄間に
富士山が切り抜かれていました。
昔から
富士山は日本の象徴だったのでしょうか?
2階の部屋の窓から見た景色
家が広いため
奥座敷の2階から見ても
この家の広さがわかります。
御用帳場では、近所のお年寄りが手作り品を作りながら、売っておられました。
仏壇の鐘を置く敷物を買ってきました。
毎日いい音色を響かせています。
豪農の館はハンパなく広い!!
一日何軒も見て歩くと疲れます。
心地よい疲れです。
でも
表門から建物を見た感じです。
とても良い雰囲気の建物です。
長谷川家は、武士の出目と伝えたれているそうです。
近世初期以降になってこの地に居を構えたそうです。
美しい茅葺の建物があります。
土地開発や治水事業など村の開発を通して、山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家だそうです。
幕末から明治にかけては、近郊四ヶ村の耕地や山林の7割を独占していたそうです。
右手には広い土間
左手には床高の高い役宅があります。
玄関入ったこの板の間の部屋の天井の高い事!
4メートル以上ありそうです。
お庭は、冬の豪雪でダメになるので
現在木がある程度です。
昔は立派なお庭があったのでしょうか?
?????です。
漆塗りのようです。
畳みも敷かれています。
中越地震と中越沖地震で改修工事をした時に、綺麗になおされたようです。
ここに使われている
床柱や床板や床框など
素晴らしい材が仕様されているようです。
詳しい資料が欲しい!
後ろからの外観です。
前も美しいのですが
後ろからの姿も美しいです。
先人達の美意識の高さに感服します。
目黒邸と同じく
外壁を冬季の雪から守る為
板が張られています。
この板は取り外しがきくようです。
裏門から出して頂きました。
敷地の周りは
水路がめぐっています。
母屋は宝永3年(1706)に大火で消失し、享保元年(1716)に再建されているようなので防火用水の役目と冬季の雪を入れる為だったのでしょうか?
間口70メートル・奥行き120メートルと広大です。
もう一度じっくり見て見たい建物です。
国の重要文化財になっています。
魚沼市須原にあります。
中世以来の豪族で、郷割元庄屋勤められたそうです。
地主規模は、150町歩で、明治期を迎えて目黒徳松、その子孝平と2代に渡り衆議院議員を輩出しているそうです。
欄間障子が入っています。
高いところに明り取りが無いと
冬場家の中が真っ暗になってしまいます。
雪国ならではの生活の知恵です。
ずっと奥まで続いております。
左手が使用人スペース。
右手が役所機能を持たせた
役宅になっておりました。
火がたかれておりました。
ほっとします。
明日はここでお茶会が開かれるという事で
大勢の女性達がお掃除をしておりました。
豪雪地帯ですので、柱も太く、梁も大きなものが入っていましたし。
そして天井も非常に高くなっておりました。
外周部は1間ごとに柱が立っています。
昔の手作りのガラスがとても美しく
丁寧に使用されている事がうかがえます。
こちらは北側の山に近い部屋です。
雪が溶け、若々しい新緑が見えます。
とても大きなものでした。
寛政9年(1797年)に出来た家ですが
明治以降、電気を取り入れたようです。
ろうそくの生活から電気の生活に変わっていったようです。
白漆喰の壁を雪から守る為
倉の外周部に板が張られています。
説明していただいて
「なるほど~・・・」
建物を見た景色です。
綺麗ですね。
家の周りには、防火と積雪対策の為の池が
沢山ありました。
茅葺、寄せ棟造り、桁行16間、梁間6間という大きな建物です。
この地域の方々が大事に守っていらっしゃるようで、あまり観光地化してなく好感の持てる建物でした。
国の重要文化財に指定されています。
表の旧会津街道に沿って野面石で塀を築き、冠木門を設けるなど中世武士の館を思わせる屋敷構えになっているそうです。
藤のお宅がありました。
TVや新聞で紹介された為
とても多くの方が見学にいらしていました。
もちろん臨時駐車場もあります。
藤の花が顔に当たります。
入口からかなり奥まで
藤が咲いています。
元はこんなに太い
藤の木です。
毎年
みんなに見てもらう為に大変なご苦労があると思います。
ここは一番奥の棚です。
ここから
ずっと中を見て行くのが
絶景ポイントのようです。
県外からも
多くの方が訪れておりました。
みなさん
藤の素晴らしさに驚いておられました。
電線が邪魔をしております。
今日は富士山がかすんでおり
見えずらくなっておりますが
中央にうっすらあります。
ミレーの美術館として親しまれています。
当時知事だった田辺国男氏と
初代館長の千澤氏により
コレクションンの中心をバルビゾン派とすると方針が決められたようです。
置県100周年記念事業として
ミレーの『種をまく人』の購入が県議会で承認され
ニューヨークのオークションで『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』と共に落札されたそうです。
岡本太郎氏の
樹人が
さりげなく置かれていますが
岡本氏の作品は一目でわかります!
晴れた日には
素晴らしい富士山を見る事が出来る
『富士見の窓』
があります。
立ち止まって富士山を見ておられる方が結構おられました。
それぞれが、最初から私達が一般にイメージする女性像の絵ではなかったのです。
マリー・ローランサンの初期の頃の自画像にはビックリしました。
『家具付の貸家』・『女道化師』・『アポリネールの娘』・・・・・・など白い肌にグレーの影
写真で見るより、描かれている女性達が病人に見えてしまうような色使いでした。
『シェシア帽をかぶった女』などの晩年になってから、原色も使われ、顔にはピンクの色が入った絵を見て、こっちの方が私的には好きだなと思いました。
東郷青児さんも17歳の頃に書かれた自画像は、エネルギー溢れる色使いと力強さがありました。
綺麗な女性の絵・淡い色合い・夢見るような大きな目・都会的で少女趣味的な絵ばかりを想像していた私はビックリしました!・・・・
6月24日までやっておりますので、皆さん自身の目で感じてください。
ヘンリー・ムーアの
四つに分かれた横たわる人体です。
1972~73年の作品のようです。
あまりに自然に置かれているので、じっくり見ている人はいませんでした。
エミール・アントワーヌ・アールテルの
ケンタウロスです。
頭が無い!
でも力強さあり!
ちょっといい雰囲気です。
ワー!
公園内を見たの初めてです。
散歩している人が何人もいました。
佐藤正明氏の
ビッグアップルNO45です。
ごらんのように大人の男性が
ずいぶん小さく見えます。
富士山と一緒に
見る事が出来ます。
一面芝生で小さなお子様連れた親子が多数遊びに来ていました。
近くにはいつ出来たのかセブンイレブンもありました。
県民なのに知らない事が多いと思いました。
倉庫の折半屋根の上に設置できるということで、ソーラーフロンティア製の太陽光発電システム(8.1kW)を設置しました。
折半屋根の表面がだいぶ劣化してきたので、この際一緒に屋根を塗装してから設置することにしました。
折半屋根の場合は、取り付け方法が何パターンかあるのですが、今回の場合は剣先ボルトに直接架台を設置する方法で取り付けます。実は一番大変な作業がこの部分です。錆びたボルトを折らないように、かつボルト山をつぶさないように既存のナットを取る作業が大変です。
先ほどの作業が終わってしまえば、あとはそのボルトに金具を設置していくだけです。今回は70ヶ所ちょっとありました。
設置した金具の上に架台を取り付けて、この上に太陽光パネルを設置します。
ソーラーフロンティアの場合、パネル1枚あたりの出力(今回のは90W)が小さいため、8.1kWシステムにするのに、90枚ものパネルを設置しなければならないというのが難点です。
またソーラーフロンティアのパネルは、1枚あたりの電圧が高いため、3~4枚で1系統としなければならないです。しかもそれをそのまま接続箱に持っていくと、ものすごい量の配線となるため、一度屋根の上で配線を2~4系統を集約させ接続箱に持っていく方法となっています。屋根の上の配線がごちゃごちゃしていて、接続の仕方が非常に悩んだところです。
全部パネルを設置するとこんな感じに仕上がります。これだけのパネルを設置しても、8.1kWのシステム容量なので、住宅の屋根にはちょっと不向きなのかなとも思います。ただしソーラーフロンティアの太陽光パネルはコストパフォーマンスが非常によく、発電もしっかりとするので、広い面積を確保できる倉庫の屋根や車庫の屋根などには適しているかと思います。
パワーコンディショナー(4.0kW×2台)と接続箱×2台、昇圧コンバーターです。
パワーコンディショナーが2台あるので、分電盤の接続の仕方がちょっと複雑になっています。
表示モニターも卓上用の他に、パソコンや携帯電話からもリアルタイムに見れる「フロンティアモニター」というものがあり、仕事中天気が良いとどのくらい発電しているのかな?って見る事ができます。ちなみに4月5日~30日までの発電状況を撮ってみました。予想以上に良く発電しているかと思います。
パナソニックHIT230×24枚=計5.52kWシステムを設置しました!
屋根材のコロニアルは、瓦に比べると軽いのですが、年数が経つとコロニアルは脆く割れやすくなるので、太陽光パネルの寿命と比較した場合、屋根材の方が先にメンテナンスが必要になるので、この際太陽光パネルを設置する南側のみ一度撤去して、パナソニックの『野地ぴたF工法』にて設置することにしました。通常の取り付け方に比べると費用は若干高くなりますが、やはりこの取り付け方の方が工務店としては雨漏りの心配が無く安心できます。
屋根材を一度撤去するので、その下にある防水シートも新しくします。実はこの防水シートは「改質ゴム系アスファルトルーフィング(イーグルガード)」と呼ばれるもので、住宅用屋根下葺き材としては最高級のものです。確かに施工してても破れにくく丈夫な感じがします。
防水シートを行った後に、ベースプレートと呼ばれる、太陽光パネルを取り付ける架台を設置します。
架台の上に太陽光パネルを設置して完了です。いつみてもこの工法は非常にスッキリと綺麗に仕上がるのでオススメです。
太陽光発電を取り付けていない北面は、ちょうど塗装したい時期になっていたので、遮熱塗料を塗りました。太陽光発電を取り付ける良いタイミングとしては、新築時もしくは築数年経ってそろそろ屋根を塗装したい時期が良いです。パナソニックのこの「野地ぴたF工法」だと、太陽光パネルを設置する南面は屋根自体が新しくなるので、塗装した上にパネルを設置するという二度手間にはならないということです。また雨漏れのリスクや、屋根が重くならないので地震対策上も非常に良いです。
パナソニックHIT230×24枚=計5.52kWシステムを設置しました!
一般的な取り付け方法では、既存の瓦を残したまま、太陽光の架台を固定する部分のみ瓦を差し替えるか、かわらの下に固定金具を入れて取り付けますが、重い瓦の上にさらに太陽光パネルを載せるということは、耐震性上好ましくないので、パナソニック独自の『野地ぴたF工法』にて設置することにしました。
既存の瓦を一度撤去するので、瓦の下にある防水シートも新しくすることが出来ます。この工法の一番良い所は、防水層からやり直せるので雨漏れのリスクが非常に少ないことです。
ガルバリウム鋼板の太陽光パネルを固定する架台となるベースプレートを設置します。
太陽光パネルを設置します。配線は露出することなくそのまま小屋裏へと引き込みます。
小屋裏の様子はこんな感じです。小屋裏内で配線できるので、劣化の心配もあまりないです。
これは太陽電池モジュールから来ている配線をひとつにまとめる「接続箱」といわれるものです。
これは太陽電池で作られた電気(直流電気)を家庭用のコンセントで使える電気(交流電気)に変換させる『パワーコンディショナー(左)』と、分電盤とパワーコンディショナーの間に設置する『連系ブレーカー』です。
これもカバーをするとスッキリとまとまっています。デザインも統一されているので見た目も良いです。
メーターも2つになり、左側が今までの「買電メーター」、右側が「売電メーター」となります。
これから家を建てようと計画されている方は、色々な住宅会社の建物に対する
ネーミング!!
に惑わされていませんか?
大手の会社は、突き詰めてみればどこもそんなに差があるとは思えません。
自然素材を歌いながら、ビニールクロス貼りの家!
高気密・高断熱を歌いながら、家中床暖を入れないと暖かく無い家!
住宅密集地の北側にまで太陽光をのせ訴訟問題になっているTホーム!
そんな中で子育て世代の人達が関心を寄せるのが
『頭の良い子が育つ家』
間取りを見れば、そんな言葉が出るまえから当社では普通にやっている間取りでした!
家が頭の良い子を育てるわけではないと考えます。
家ではなく、家庭内の家族間の人間関係が重要なのです!!!
無理をして家を建てた為に、お母さんが仕事をしなければならなくなって、子供は学校から帰ってもさびしくて楽しくない家!
妻が働きに出て、今まで手作りの食事が、出来合いの惣菜だらけの食事に変わって家に帰るのが楽しくなくなった夫!
居間で勉強した子のほうが、良い学校に行けた。
ではないのです
子供が親離れするまで、親のそばで安心して勉強することが出来たからなのです。
子供部屋を作ったんだから、自分jの部屋で勉強しなさい!
などと言っていませんか?
個々親離れする時期は違うと思いますが、子供が親の近くで勉強したり、遊んだりしたい時期は、思いっきり満喫させてあげればよいのです。
そのうち 自然に親離れしてゆきます。
その時に 子離れできない親にならないように注意しましょう。
子供でも、自分の居場所があるから安心して学校や幼稚園に行けるのです。
くれぐれも、子供部屋に子供を追いやる事をしないように注意してください。